大岡山の空

完璧な計算で造られた楽園で、ひとつだけ、うそじゃない、 今日から始めるモテ体質強化ブログ、大岡山の空。

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 「午後7時28分の恋人」こと半井さん(通称:範囲タン)によると、高知で桜が咲いたらしい。高知県民は桂浜で小躍りでもしているんだろうか?花見は鰹のタタキを食べながらなんだろうか?
 ごめんなさい、偏見です。広末涼子さんを始めとする(←さらに偏見)高知県民に謝罪いたします。

 いや、んなことじゃなくてね、所謂司法制度改革関連なんですけどね、最近の関連ニュースを見ると、なんというか、違和感のようなものを感じるのです。


 web上のソースは探せなかったんだけど、昨日のNHKニュースで、横浜だかの高校に裁判官が出向いて、陪審員制(日本でのローカルな制度名を失念したけど、仕組みとしてはこんな感じだよね?)が導入された際の裁判を模して、「あなたが陪審員だったら?」みたいな感じで生徒を陪審員としたロールプレイングを行うという内容。
 それで、司法制度改革に理解を求めた、、、らしいのね。裁判所としては。NHKによると。

 それって「理解を求める」じゃないよね?「こういうことやるから、ヨロシク!」っていうことだよね。

 というツッコミもあるんだけど、まあ、まずはこの陪審員制度について。
 この制度は、司法判断の場に”市民の眼”を入れようって言うのが元々の意義であるように、少なくとも私は理解しています。”市民の眼”を導入するが故に、例えば松本サリン事件のような、冤罪やそれに類する事象(マスコミが「A氏」を犯人扱いしてそれをガンガン報道するとか)が起きた場合に、どのような判断が下されるのかという事を十分考慮した上でネ!

 ちなみに、陪審員制度により冤罪がおきたというのがアメリカで過去に発生したはず。(ソースは失念。ペドフィリアの汚名を着せられた被告が、陪審員の決定により実刑10n年を食らったという事件)

 つまり、法学的な見地に加えて、所謂「市民」、言い換えればワイドショーを見ているようなオバチャンの考えを司法判断の場に持ち込もうということ、だと私は理解しているんです。司法的見地からの事実の真偽だけでなく、”社会的に妥当な”判断を判決に盛り込む訳です。

 好意的に捉えれば、「市民の感覚により近い判決」を期待できるのかもしれません。



 が、しかし、そういった流れに逆行するような近視眼的な判決が出てしまったのが、先日の
高知落雷事故への最高裁判決であるように思うのです。
 児童向けの絵本まで証拠として採用した判決は、原告”だけ”に限定してみれば「望ましい」判決でしょう。しかし、この判決の及ぼす社会的な影響がまったく考慮されていないように思えてなりません。

 たとえば、この判決を受け、全国の関係者は落雷に対して過敏な対策をとるようになるだろう。また、各種スポーツ大会の主催者も、落雷の可能性による延期や中止を今まで以上に行うだろう。
 こういった事にともなう「社会的なコスト」というものに、今回の判決を下した裁判官は少しでも想いを馳せたのだろうか。落雷による障害のリスクと、同列にそれを考慮したのだろうか?
 落雷で、一年間にいったい何人がけがしてるんだ?(苦笑

 もちろん、今回の裁判の肝は、個人の”損害”についての賠償な訳だけれども、、、
 まあ、この辺の考え方、すなわち将来に対するリスクなどの考慮が甘いというのが、日本の「司法制度」の限界なのかもしれないのだけれども。

 そういえば、安全管理に関する大学の授業中に教官がこんな話をしていたのを思い出した。
日本の警察やら検察って言うのは、何でもかんでも”犯人探し”をするんだ。表面的な原因だけをみて、誰かを”犯人”にすればそれで満足なんだ。問題の解決は全部企業任せ。」


 司法が法律屋の宗教論争であり、それが権力を伴うという事によってのみ権威付けされている、という考え方は、いささか極論ではあるが特異な論であるだろうか?
 中世の教会が現在の裁判所や検察に変わっただけで、そのフレームはほとんど変わっていないのではないだろうか?
 「尾高・宮沢論争」なんかを引き合いに出すまでもなく、社会の秩序を形成するためのデバイスとしてではなく一人歩きした「呪文の書」としての”法律”というものに、えも言われぬ違和感を感じる。

 社会全体に、その法律なり判決なりがどういった影響を与えるのか。
 この例えは個人的にあまり良いものだとは思わないのだが、「理学部と工学部の違い」のような枠組みの分離がなされてもいいのかなあ、なんてことを深く考えもせずフンワリと思ってしまう。つまり、原理原則をベースとしつつも、社会システム全体との整合性といった「運用面」に立脚した本格的な枠組みの構築というもの必要なんじゃないだろうか?

 立法面での社会システムとの整合性と行った面では政治学があるけれども、実際の”司法の場”での運用を社会システムとの兼ね合いといった面で考えている事って、判事なりが個人的に判断しているだけだよね。まあ、司法の独立性とかってハナシも大切ではあるんだけれども。

 まあ、この辺に行くと、都内の大規模な弁護士事務所なんかはそのエッヂのような存在といえなくもないのかもしれない。
 そういえば、司法制度改革で弁護士の総数が増えつつあるが、こういった大規模な事務所にガンガン入るが、地方ではまったく増えておらず、既存弁護士の廃業によって逆に弁護士数が減少してしまうと行った事が起きているという事を、先日のクローズアップ現代(NHK)でやっていた。




 そんなことは置いといて。


 昨日、PSE法に関する音楽家たちの声明のなかで、「教授」こと坂本龍一が興味深いことを言っていた。
 「人間が法律を作るのであって、法律が人間を作ってはならない」(webソースが見つからなかったので、記憶による)

 PSE法が、官報で告知され、施行されてから5年もの「猶予期間」を期間を経た後も、これだけの反対運動が巻き起こる。総務省は、遂には一部の規制を緩和するに至った。
 「国会で可決された法律を、規定通り運用しているから問題ありませんよ」というのでは、もう既に通用しない時代になっているのかもしれない。
 実際の運用上においては、予算をしっかりと組み、広報活動し周知を図るという社会に突入しているのかもしれない。

 社会を流通する情報の絶対量が多くなり、人々の、情報を吸収しようとする欲求、理解しようとする欲求、発信しようとする欲求が増大しているのかもしれない。そしてさらに情報の流通量が増加する。
 問題の多い法律に関する情報は、そういった大量の情報の中に埋没して行く。そして、運用段階になり実際に問題が起こったとき、それを指摘する声が多方面から爆発的に広がる。

 そんなことが起きたのかもしれないし、これからも起こるのかもしれない。



 まあ、PSEに関して言えば、「祖父条項」が適用されないじゃんという、法律的なツッコミみも入り始めている訳ですが。STマークからPSTGマークなどへの移行時は考慮されたのにナゼ?ってことで。
 winny作者が、最近頻繁に起こってる情報流出問題についてのアプリケーションの改善策を持っていながらも、京都府警だか検察だかとの覚え書きのためにソースコードを弄れない、なんていう事態が起こっているのも、興味深い。
 というか、本末転倒?このために司法関係者からの情報流出も起きているらしく、個人的に大爆笑な次第。インターネットに繋がれば、ホンモノの捜査資料や裁判資料まで”お手軽に”入手して閲覧できるなんて、ステキな世の中になったものです。It's a 未来生活。

 佐賀の農協で起こった冤罪事件での検察の動きなんかを見ると、アメリカが代用監獄などを理由に犯罪者の引き渡しを拒否するのも、理があるように思えてしまう。(失笑




 閑話休題。

 今の状況が変わらなくても個人的にはあまり影響は無いかとも思われるけれども、社会全体に”歪み”が生じてくれば、いずれ自分に跳ね返ってくるかもしれない。
 「情けは人のためならず」



 そんな由無しごとを、納税者を「お客様」と呼び低頭平身に接するバイト先の職員さんを、「変わりつつある行政」を傍目に見ながら、春のポカポカした陽射しにヤラれたフワフワしたアタマの中で、夢現(ゆめうつつ)の心地でボンヤリと想っていた。


 おかげでチェックを付け忘れそうになって、ちょっぴりテンパったのは、ココだけの話。(^ ^;;
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読んだ
2006/03/16(木) 09:28:08 | |ラスティ #pYrWfDco[ 編集]
はーい、東京にいますが・・・
一応高知県人です 苦笑。
でも、他人の不幸は蜜の味的な雰囲気の強い【田舎】の高知に束縛感を感じて止まない私は、高知に対してとても複雑な心境です。そして小学校で6年間同級生だったりょうちゃんにもとても複雑な思いを抱いている私です 苦笑。
ちなみに、さすがにお花見の場所までお汁気の多い鰹のたたきを持ってきて肴にする人は余りいないようです。私の目のとどかない場所は沢山あるので、そういう場所でもしかすると数多の人々が食べているのかもしれません 苦笑。でも、とにかく茣蓙をひいてお弁当を広げる場では、全国一般的なお花見弁当だと思います。私は、【お花見】をわざわざしにいった経験が余りないので詳しい事は分かりません。。。一人ぶらぶら歩いていて、「あ、桜だ」と見る程度かな。あ、でも夜桜は本当に綺麗ですね^^高知の実家の自分の部屋の窓から、鏡川という河がまず目前にあり、その向こう側の土手に桜並木があるので、一人でよくぼーっと眺めていました^^
今年も見逃すのかな。去年も調子崩して桜どころではなかったんです。全く嫌になります、こんな自分。。。

何かと話題になる北村君も中学高校と同じでした。彼が脳死になるかもしれないという話を聞いた時には流石にショックでしたね。私が変わりたいと思いました。サッカー大好きでやんちゃな、私もいじめられていた(苦笑)男の子でしたが、未来ある青年だったから。でも、周囲のお友達は皆優しい人ばかりだったから良かったと心から思います。私は中1の時だけ同じクラスでした。
彼も、私の大嫌いなマスコミ、マスメディアの材料になったのかと思うと本当に嫌気が差します、今の世の中に。いい加減にして欲しい。腹が立つ。
有り難い事に、高3の卒業式で私は卒業生を代表して答辞を詠ませて頂きましたが、その時に、17歳のときに脳腫瘍でなくなった同級生や、落雷事故の北村君のことも盛り込みました。それが答辞を作る私の使命だと思ったから。卒業式の後、ぼろぼろ涙を流しながら私の元にお礼など言いに来て下さった北村君のお母さんのあの表情、今でも脳裏に焼きついています。そのお母さんがこの間テレビで主張していましたね。とても複雑な心境でした。繰り返しですが・・・。

私のおじの一人が弁護士です、高知で。でも彼が独立して事務所を構えたのは私が中高校の時だったんじゃないかな。高知県は離婚率が高い、弁護士の数が多い、らしいです。本当に色々大変僧です。軽々しく相談に乗って、なんていえません 苦笑。
流石、クローズアップ現代見ているんですね^^面白いですよね、あれ。私が大学で社会変動論と言う講義を取っていましたが、その関根教授が、いつも、近頃の若者はクローズアップ現代も見ない、と喚いていらっしゃいました。いつも頑固そうな表情で、でもその裏にはとても優しいものを秘められたいい先生です^^私が休学する前にその教授が予言していた事が、復学してみると当たり前のように社会に流布していたので、お、すごい、と思いました 苦笑。オーストラリアの研究者は日本に私ただ一人しかいない、と、いつも自慢なさっている先生でした^^

冤罪、と言えば、大学で「犯罪学」の講義を取り敢えず取っていたので少しはお話が出来るかなと。「物語を作」って、犯人ではない人間でも問題解決のために犯人に仕立て上げるのが警察のお仕事でもあると。しかもそれは市民を安心させるためだと。それってないんじゃない?本当の犯人を野放しにしておいて、良心的な市民を犯人にでっちあげるなんて。交通違反取調べをねちっこくするのもお仕事なんでしょうけれど、そちらに手間隙かける時間があるのなら、正真正銘の犯人を見つけるためにもっと奔走していただきたいですね。
それに犯人が捕まっても今時の市民は安心なんて出来ませんしね。また新たな事件に怯えて暮らすだけ。何と言う悲劇でしょうね。

K@パダワンさんの文章、とてもまとまっていて、色んな情報が盛り込まれていて、知識のない私にもとてもためになります☆どうも有り難う^^
気の利いたコメントできなくて(*_ _)人ゴメンナサイね。v-16
2006/03/17(金) 20:19:15 | |真由リン。 #GPAZKWNo[ 編集]
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