大岡山の空

完璧な計算で造られた楽園で、ひとつだけ、うそじゃない、 今日から始めるモテ体質強化ブログ、大岡山の空。

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 R25某フリーペーパーよりもハイクオリティな記事が読めるHotwired Japanで興味深い記事を見つけた。「米国流選挙参謀チームの「威力」を描いた映画」。

 詳細は上記リンク先の記事を読んで頂きたいが、要約すると
ボリビアの元大統領ロサダは、2002年の大統領選で再帰を図った。そこで、クリントンらの選挙参謀としての経験もある3人の人物を雇い入れた。彼らは世論調査を分析し、したたかな選挙戦略を展開する……
といった感じ。

 まあ、ケネディーのテレビディベート以来着々と重要性が増してきたメディア戦略がついに”ビジネス”として輸出され、地元(っていうかその国)に縁もゆかりもないエージェントの様々な戦略により、ついには一国の元首を選出する選挙の結果をも左右する自体となっている訳です。


 これって、近年急速に大きくなりながら、非常に難しい問題でもあるわけですよね。

 先進国においてだって、先日オリンピックの行われたイタリアの
ベルルスコーニ首相(いま選挙中だっけ?)を筆頭に様々な国の選挙で「メディア対策」の重要性は増している。
 我が国だって例外ではなく、例えば(以下、非常に不快な思いをする方がいたり、醜いフレームの元となるような気がしたので割愛させていただきました。ご了承ください。それでは、引き続き本日のエントリーをお楽しみください。)

 しかしながら、様々なメディアが発達し情報の伝達経路が網の目のように張り巡らされ、さらに心理学などの学術的成果をも応用した多様な表現手法が開発され、例えば法整備による規制などを行おうとしても、実際問題として不可能なわけで。
 様々な政治問題に関する利害関係がより複雑化しているのも、そういったことを難しくする要因でもあるのでしょう。

 また、こういった規制を行おうという動きを作ろうとしても、反対派に対して優位性を保とうとすれば、すなわち現実的には、メディア戦略を行う必要があるわけで、そういったジレンマを抱えているが故に、これを規制の方向に動かすことはほぼ不可能でしょう。
 少なくとも、現在の”民主主義”政治においては。

 で、ヤラれないためにはどうするか。”武装”するしかない。ということで、冷戦ヨロシクさらに洗練されたメディア戦略が生み出されていくと。



 こういったジレンマを解決するためにはどうすればいいのか。「有権者一人一人が、キチンと考え、投票をすればよいのです」と、中学校の社会の先生は言うでしょう。
 が、んなことは「青いバラ」以上にムリなわけで(注:青いバラは遺伝子技術で作られています)。「キチンと考え」ているつもりでも、それが客観的に「キチンと考え」ているかとは別問題なわけで。
 そもそも、人間は主観的にしか認識できないのだから、「客観的」に認識しているつもりでも、それは「客観的である」と主観的に判断しているに過ぎないわけで、政治行動についてキチンと考えるなんて到底人間にはムリであると、私は思います。あらゆる利害関係を考慮して工学的手法により自分の行動を決定しようとしても、そもそも問題設定の時点で主観的にならざるを得ないわけで。

 「私はそういったジレンマを超越した存在です」と言っても、それもまた主観的な思いこみに過ぎず、そんなこと言ってるヤツは宗教屋にでもなっちまえば良いわけです!

 押井守の言葉を借りるなら「世界は思いこみに過ぎない」(映画「Avalon」より)ということです。



 では、「メディア対策」の悪影響を回避するためには、現実的にどうすればいいのか。社会科の授業数を多くする?○○問題や××問題を「カワイソウな出来事」ととしてではなく、複雑な利権が絡んだリアルでナマナマしい問題として取り上げる?テレビで社会派なドキュメンタリーを増やす?

 ナニをしたってムリだよ。多分。怠けアリの逸話じゃないけど、ある割合の人間は「メディア対策」により意見を左右されちゃう。言葉は悪いけど「バカな浮遊層」というのは存在してしまう。それもそれなりの割合で。少なくとも、55年体制とは違う今の社会状況では。と、思う。
 「メディア対策」が通用しないほど社会全体の知識レベルが向上すれば、おそらく今とは異なる、明らかに先進的な別の仕組み・枠組みを持った社会に進化するでしょうよ。

 まあ、中途半端に進化させようとして大失敗したのが旧共産圏な訳だけれど。(w



 そんなことで、「メディア対策」による衆愚政治的状況は今後更に進行するのではないかと、個人的には予想してます。良かろうが悪かろうが、仕方ない。
 では、我々はそれを黙ってみていれば良いの?それとも、無駄と(上述した”ジレンマ”から)分かっていながらも声高にその”危機”をシャウトすべきなの?

 否。私はどちらも良いとは思わない。ならば、どうするべきなのか。

 積極的に”世論を操作する側”に回るのが、最もクレバーではないかな?と思う。消極的思考の帰結としてではあるけれども。



 テレビの「街頭アンケート」や、”2ちゃんウヨ”に染まった知人を見るにつけ、ますますそう思う。どこの局だとか、誰だとは言わんけど。
 そう、「無知は幸せ」。「世界は思い込みに過ぎない」のだから。。。



 ちなみに、本日3月7日は「花粉症記念日」だそうな。
 この眼のカユミだけは”リアル”だ!我カユイ、故に我アリ(違
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そう。まったくその通りだと思う。メディア戦略なんて政治の本質でも何でもないが多くの表はそんなもんで動いてるんだと思うよ。今の政権もその辺を他よりうまくやった結果であって・・・クレバー?ああまさにその言葉があってると思う。国民に無知の幸せを与えてあげるのがこれからの私の仕事ですか?
2006/03/08(水) 17:59:31 | |MY #-[ 編集]

そうだね。この共同幻想の世界の中で如何に共通部分を模索して生きていくかが私たち国民の課題だもんね。表面的、一部分でしかない事象を誇大に報道することで、それに関して無知蒙昧な国民を惹き付け関心を持たせることが、メディアんの使命なら仕方が無い。それに気付いていても何とも出来ない無力な自分が情けない。だから自分は『積極的に操作する側』ではなくて、只管『厭世的に生きる』側に回ってしまっています。こんなのではいけないのだけれど。いつかはと思いながらもう13年が過ぎました。その間に世の中にも色々な事象が起こったね。人間が生きている限り、記憶と言うシステムがある限り、どんな過去も過去になるんだよね。でもその過去が真実かどうかは定かではないよね。
2006/03/10(金) 22:17:49 | |真由リン。 #GPAZKWNo[ 編集]
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