昨日は、皆さんご存じのように
阪神大震災から11周年だった。
私は東日本の人間だが、阪神大震災の時のことは鮮明に覚えている。
11年前、私がまだ小学生だった頃、理由は覚えていないが、毎朝の早起きがマイブームだった。家人が起きる前、2階にある自分の部屋からノソノソと閑かな茶の間に降りていき、掘り炬燵の中から頭だけ出し、日テレの朝の番組(めざ天→ジパング朝6→ズームイン)を見ているのが好きだった。
1995年1月17日、その日もいつもと変わらず、5時過ぎくらいから炬燵に入って「めざ天」を見ていた。まもなくジパングという頃、画面上に地震速報が出てきた。「震度6」というテロップにビックリ仰天した。
数分してから、画面は急に報道フロアに切り替わった。非常に慌ただしく、情報が錯綜している様子が、小学生だった私にも伝わってきた。
地図上に示された震度情報、断片的な被害情報、電話でのレポート、、、
そして、確か6時半近くだったか、「神戸、震度7」という情報が入ってきた。起きてきた母と、エライ事が起こったと茶を飲みながら話していた。
その後、公共交通の状況などの情報は入ってきたが、それほど新しい情報はなかった。